返信。

多田由美子さま

それまでアートにはいつでも社会性が求められていたと思います。
まるでそれさえクリアされれば存在が認められる免罪符のように。
アーティストは夢中でしゃべり、商いとしてアートフェアに出品し、繋がりを求めてワークショップを開催し、街にまで飛び出して鑑賞者たちと積極的に交流を始めます。

震災後、アートの無力を嘆く多くのアーティストたちのうめき声は、この未曾有の大災害という、必然的にコミットすべき社会的な出来事が初めて目の前に現れたというのに、アーティストとして社会的機能を果たせないことを突きつけられたからだと思います。

「お前は社会にとって役立つ人間なのか?」

誰もそう言葉にしてアーティストを問いつめてはいないのですが、非常時における社会全体の正義の声に問いつめられたような気がして、心が被災してしまったアーティストは多くいたと思います。

アーティストにとって大事なことはリアリティーであり、つくるための必然性であるはずでした。そのために歴史を学び、時代を読み、各地を訪れ、様々な人々と交流する。
震災以降、日常の中に死がちらつくことによって、自身が生きているということをどこに行かずとも常に実感するようになりました。あんなに求めていたはずのリアリティーってやつがこんなにきついものだと思いもしませんでした。

これでやっといい絵が描けるようになるんだろうか?

僕はひとまずアーティストっていう鎧を脱ぎ捨てようと思っています。
さらにその上で社会的機能をまったく考えない絵が描きたいと思います。
それは醜く歪みきった自画像のようなものになるかもしれないし、なんとか自分を奮い立たせるべく夢想した理想郷のような世界かもしれません。
アートでできることであればアートですればいいし、アートでできないことであればひとりの人間としてすればいい。

書簡の返信になっているかどうかは解りませんが、もうどこにも安全な観客席はないし、常に表現すべき理由が突きつけられているということなのだと思います。

今度は「東北画は可能か?-方舟計画-」仙台上陸の際、顔を突き合わせてお話しましょう。

三瀬夏之介

コメント

非公開コメント

最新記事
twitter
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク